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最高裁判所第三小法廷 平成10年(オ)1127号 判決 1998年9月29日

名古屋市中川区本前田町二五八番地

上告人

池本滋

右訴訟代理人弁護士

内藤義三

愛知県稲沢市陸田一里山町五三番地

被上告人

エーアールシー株式会社

右代表者代表取締役

井川敏

同長野三丁目一〇番二八号

被上告人

井川敏

右両名訴訟代理人弁護士

高橋譲二

右当事者間の名古屋高等裁判所平成五年(ネ)第八四七号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成一〇年二月二六日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人内藤義三の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 金谷利廣)

(平成一〇年(オ)第一一二七号 上告人 池本滋)

上告代理人内藤義三の上告理由

はじめに

本件の争点は一点だけである。

すなわち、本件考案の実用新案登録請求の範囲に記載されている「密着部」について、これがフィルムに対する「密着力」により、フィルム引き出しに対する抵抗力を生じる性質が必要であり、そのような機能を満足させる「密着部」であることは争いのないところであるが、具体的にどの程度の抵抗力があることが必要かどうかが最大の争点である。

上告人はこれについて、本件考案の明細書すなわち登録請求の範囲と詳細な説明には、この密着力によるフィルム引き出し阻止力によって、

「回動体を回動」

させ

「フィルムを緊張包装」

させ、かつそれらが別段の操作を必要とすることなく、フィルムの引き出し角度の変化だけで行い得る旨強調されているから、この「密着力」による抵抗力の程度は、

「回動体を回動」

させ

「フィルムを緊張包装」

させるのに必要な程度の密着力が必要でかつそれで充分で、それ以上に無限に強い密着力は要求されていない。

と主張したのである。

これに対し、原審判決は、以下上告理由として取上げるとおり、不適当な理由をもって、右抵抗力の程度について、「回動体を回動」させフィルムを「緊張包装」させるのに充分な程度の密着力でも足りないとして、侵害を否定したものである。

上告理由第一点(実用新案法全体の解釈の誤り)

原判決は、実用新案出願手続における出願人の意思表示、説明の解釈について、当業者の技術水準を基準とせず、国民一般を基準とした違法がある。

一 実用新案の明細書は、国民一般を名宛人とする文書ではなく、当業者(実用新案法第三条二項「その考案の属する技術の分野における通常の知識を有する者」)及びそれと同一水準にあると看做される特許庁の審査官、審判官を名宛人とする技術文書である。

したがって、そこで使われた文言を解釈するにあたっては、当業者の技術水準に照して解釈されるべきであり、国民一般を基準とすべきものではない。

出願経過において提出される、意見書、補正書などもこれと全く同様、当業者の技術水準に照して解釈されるべきである。

以上の原則については、実際には国民一般を基準として判断することの多い裁判官の職務に照すと、やや困難を強いるという側面は否定しないまでも、原則論としては異論を見ないところである。

すなわち、裁判官は、出願人の意思表示、説明を解釈するについては、一般国民なら、あるいは自分ならこの記載をどう受け取るかではなく、自分ならこう受け取るが、その分野の技術者ならこう受け取るだろうな、という推定に基づいて判断すべきものである。

二 では、両者はどう違うかということであるが、最大のポイントは、考案全体特にその目的、作用効果に照して合理的な意味のものとして理解するということである。

例えば、一般にもよく使われる言葉に「真空」という言葉がある。

言葉の語感としては、真実を意味する「真」が使われているから、一〇のマイナス何乗という高真空を意味するように見える「真空」の場合でも「真空掃除機」(電気掃除機)のように、一般の気圧にくらべ二割前後しか低い気圧の「真空」を作れないものもある。

この場合、目的はゴミ掃除であるから、それに必要な程度に空気を強く吸い取ることのできる程度の「真空」を作り出す作用効果があればよく、それ以上の「通常の真空」並みにすることに意味はなく、むしろ排気量が多い方がよいので「真空」もその意味で使われている。

他方、高度な電子部品の製造のための「真空ポンプ」では、一〇のマイナス五乗程度の「真空」では意味がなく、一〇のマイナス一〇乗、マイナス二〇乗の「真空」にどうやって到達するかが問題とされ、反面「真空掃除機」のような排気量は二の次である。

この場合、一般的に高度の「真空」を表す「高真空」の程度でも「真空」としての意味はないことなる。

同じ、「真空」という言葉が使われていても、その技術の目的や作用効果に照らし、実際のその意味、特にその程度については大きく異なることは当然である。

三 原判決は、「控訴人は・・「回動体を回動」「緊張包装」が可能な程度の強さがあることが必要で、かつそれで充分であると主張するが、・・控訴人は、特許庁の拒絶理由に対し、密着部に密着させると、引っ張ってもフィルムはそれ以上引き出されることはなく、これによって緊張状態で包装することができる旨の意見を述べているのであるから、この密着力については前記のとおり(一審判決引用)解するのが相当である」(原判決一一頁)として、「回動体を回動」しフィルムを「緊張包装」することが可能な程度の強さでも足りないとした。

四 しかしながら、右の「引っ張ってもフィルムはそれ以上引き出されることはなく」というのは、右に原判決自身取上げているように「これによって緊張状態で包装する」ことを実現する手段であるから、これによってフィルムを「緊張状態で包装する」のに必要、充分な程度の引き出し阻止力があり、その範囲内でならいくら強い力で「引っ張ってもフィルムはそれ以上引き出されること」がないという意味で理解するのが当業者なら当然の読み方である。

技術的意味を無視して、この言葉だけを見れば、日本語一般の語感としては、「引っ張ってもフィルムはそれ以上引き出されることはなく」というのは、無限に近い強い力で、あるいは人力の限り最大限の力で「引っ張りてもフィルムはそれ以上引き出されること」がないという印象を与えるかもしれないが、右に説明したように、これは当業者としての技術常識を兼ね備えた筈の特許庁審査官とのやりとりであるから、審査官がその技術的意味を無視して、無限に近い強い力で、あるいは人力の限り最大限の力で引っ張った場合を想定して、判断することはあり得ないものである(佐藤証人第一三回弁論一〇-一一頁、七二頁、同第一四回弁論五頁等)。

なお、本件訴訟に表れた弁論の全てを精査しても、「回動体を回動」「緊張状態で包装する」のに必要、充分な程度の引き出し阻止力に加えて、さらにそれ以上の引き出し阻止力があればさらに優れた効果があるというような事実は何一つ提出されていないし、原判決や、その基礎となった一審判決にも、これを越える引き出し阻止力に技術的意味があるという事実は出ていないことにも留意いただきたい。

むしろ、それ以上の力で引き出しを阻止できても、その場合にはフィルムが破断されるとか、包装機自体がずれ動くなど、悪い効果しか生じないのである(甲第三七号証)。

五 以上のとおり、原判決のあげる右の出願手続中の出願人の意見については、当業者の技術常識に照してその技術的意味をさぐれば、上告人の主張のように解されるのに、単に日本語としての語感に基づいて右密着力を、「回動体を回動」しフィルムを「緊張包装」することが可能な程度の強さよりもさらに強いものを要求し、よってイ号物件が備える密着力では足りないとしたもので、その違法は判決結果に影響することは明らかである。

上告理由第二点(経験則違反)

原判決は、何らの理由を示すことなく、その争点についての唯一の証拠を無視し、それと反対事実を認定したものであり、経験則違反の理由不備の違法がある。

一 原判決は本本件の「密着部」に関し、『「具体的には、回動体の後立上部の屈曲部を露出させ、かつ、上端部の後上部の上端に斜め上向きに平坦部を形成したもの、又はこれと同程度の強い密着力を有する構造を備えたもの」を意味するとして限定的に解釈し、その上でイ号物件が右の「密着部」を備えているかどうかについては、イ号物件には斜め上向きに形成された平坦部はないこと、その屈曲部分Zは露出しているものの、フィルムをほぼ水平に強く引っ張ってもそれ以上引き出せない程度の密着が生じるような構造にはなっていない』として、イ号物件が本件考案の「密着部」を備えていることを否定した。

二 ところで、原判決の右の記載だけみても、論理のすり替えがある。

すなわち、原判決は、一審判決を引用して、

「後上部の上端に斜め上向きに平坦部を形成したもの」

「これと同程度の強い密着力を有する構造を備えたもの」

のいずれかであれば、本件「密着部」の要件を備えるとしている。

このうち、イ号物件が、「斜め上向きに平坦部を形成したもの」でないことは争いのない点であるから、残る問題は「これと同程度の強い密着力を有する構造を備えたもの」であるかどうかであり、したがって、前者の密着力がどの程度かを判示し、それとイ号の密着力を対比し、前者に比して後者の密着力が著しく少ないというような相対的な比較判断すべきものである。

しかし、原判決は右のような相対的な比較判断ではなく、今度は「フィルムをほぼ水平に強く引っ張ってもそれ以上引き出せない程度の密着が生じるような構造にはなっていない」という絶対的な評価によって、構成要件該当性を論じている。

三 このような説示のしかた自体の問題は別として、実質的な問題点は次の点である。

原判決の趣旨が、いかに強い密着力があろうが、イ号の「密着部」が、公報に図示された「斜め上向きに平坦部を形成したもの」の「密着部」の形状と、いかなる微差であってもこれと同一形状でなければ、「密着部」であることを否定すると言うのであれば、それは請求の範囲の文言も、その技術的意味も無視した不当な実施例限定であると言わざるを得ない。

そこまで極端に限定するのではなく、一応「斜め上向きに平坦部を形成したもの」を基準とするが、必ずしも公報に図示された形状のものに限定するのではなく、「これと同程度の密着力を有する」ものであればよいとするのであれば、上告人としても、問題はあるとしても、解釈としては不合理なものではないと考えている。

そこで、問題は「斜め上向きに平坦部を形成したもの」と、「その屈曲部分Zは露出して」フィルムとは狭い部分であるが強く密着しやすい構造のものと、どの程度の違いがあるかである。

四 原判決は、この両者の比較については具体的には何ら判示していない。

そして、この点についての唯一の直接証拠は、甲第三七号証の実験ならびに写真撮影報告書およびその添付写真である写真14から写真25の写真だけである。

間接的な証拠としては、このような曲面に対する接触による抵抗力について論じた、甲第一〇号証(岩波新書摩擦の話)があり、抵抗力は面積の大小によるのではなく、巻き付いている角度の大小による旨のオイラーの理論が紹介されている。

これ以外に、右の点すなわちフィルムとは広い傾斜面積で接触するが接触角度は小さい「斜め上向きに平坦部を形成したもの」と、狭い面積で接触するが大きな角度で接触する、「その屈曲部分Zは露出し」た構造のものとと「密着力」を相互に比較した証拠は存在しないのである。

そして右甲第三七号証の実験結果は、本件包装機器において、「密着部」が「斜め上向きに平坦部を形成したもの」と、「その屈曲部分Zは露出し」たものとでは、密着による抵抗力には差がないことが証明されている。

そして、この実験結果には反論も反証もなされていないのである。

五 以上のように、両者の比較について唯一の証拠である甲第三七号証が両者の抵抗力は同じであること(前記オイラーの理論から言えば当然の結果であるが)を示しているのであるから、仮に原審がこの証拠を信用せず、かえって右のようにそれと反対事実を認定するのであれば、合理的な説明が要求されるべきである。

当業者ではない裁判官において、具体的な証拠に基づかずに、自己の経験感覚だけに基づいて、「斜め上向きに平坦部を形成したもの」に比べ、「その屈曲部分Zな露出し」たに過ぎないものは、その密着による抵抗力も(接触面積が少ないから)はるかに少ない筈だと思いこんで認定することは許されない筈である。

六 以上のとおり、原判決は証拠に基づいて認定すべき事実について、排斥する合理的な理由も示さずその問題についての唯一の証拠を排斥し、それと反対事実を認定したものであるから、理由不備の違法がある。

そしてオイラーの理論のとおり両者の接触による密着力に差がなく同程度のものであるとすれば、原判決の理論によっても、イ号物件の構成要件充足性は肯定されることになるから、この違法は原判決に影響することは明らかである。

おわりに

日本の裁判実務におけるクレイム解釈は諸外国に比べて狭いと批判されている。

一つは、クレイム文言から少しでも外れれば侵害を否定する傾向であり、もう一つはクレイム文言に含まれるのに、実施例と異なれば侵害を否定する傾向である。

前者については、ボールスプライン事件の最高裁判決によって、解決された。

後者は、文言どおりであれば無効事由が含まれることを回避するために実施例に限定するのであればともかく(本件では原判決によっても、そのような無効事由は認められていない)、本件もそうであるが、何か理由さえつけば実施例に限定しようとする傾向は是正されるべきである。

以上

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